ごく狭い範囲で噂になっている「この会」ですが、先週24日の日曜日、本当に開催されました。
当日は雪がチラチラと舞い、散策どころではない厳しい寒さでしたが、ボランティアガイドさんの寒さを忘れさせてくれる切れ味鈍いジョークと、質問してもたまに無視される何とも言えない心地良さが絡み合い、終始笑いが絶えず大いに盛り上がった散策となりました。
今回はガイドさんからの詳しい説明のおかげで、前回とは比べ物にならない情報量でしたので、今だに吸収しきれていませんが、この会への勧誘と報告と覚え書きとしてざっくりまとめてみることにします。
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まず、私が住む市にある、起(おこし)という地には江戸時代に東海道と中山道を結ぶ美濃路が通り宿場町がありました。
東海道と中山道に比べると印象が薄い感じがしますが、美濃路は東西を行き来する時には川を避けられるルートということで、遠回りでも安全のためにこの道が使われたようです。
明治24年に起きた濃尾地震により、辺り一帯が壊滅的な被害を被ってしまったので現在では当時の面影はわずかですが、一軒だけ倒壊せずに江戸時代からの姿を残す建物があったり、国内でも最大級の船橋が架けられたりと貴重な歴史が残っている場所です。
その歴史を肌で感じよう、と開催されたわけですが…。
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まず、私が住む市にある、起(おこし)という地には江戸時代に東海道と中山道を結ぶ美濃路が通り宿場町がありました。
東海道と中山道に比べると印象が薄い感じがしますが、美濃路は東西を行き来する時には川を避けられるルートということで、遠回りでも安全のためにこの道が使われたようです。
明治24年に起きた濃尾地震により、辺り一帯が壊滅的な被害を被ってしまったので現在では当時の面影はわずかですが、一軒だけ倒壊せずに江戸時代からの姿を残す建物があったり、国内でも最大級の船橋が架けられたりと貴重な歴史が残っている場所です。
その歴史を肌で感じよう、と開催されたわけですが…。
尾西市歴史民俗資料館(別館) |
開催時間が差し迫っても、なかなか参加者が集まらない。
すると最初に現れたのは…
いつも強制的にかり出されてしまう不運この上ない男、おおた君の登場。
早速、会長から会員証を手渡され苦笑い。
会長は大変ご満悦 |
どうやら、いくを会長の呼びかけが適当だったらしく開始時間となってしまったので、会長、おおた君、私の3人でまずは資料館職員の方から館内を案内してもらうことになります。
今までは、こういう展示って自分のペースで見たい、とか思っていましたが、説明をしてもらった方が断然面白いと気付かされました。
私たちは訳の分からない不審な団体だというのに、とても真剣に説明をしてくださる。
その間に参加者が集まり一安心。
丁寧で分かりやすい説明 |
矢継ぎ早に繰り出される解説により、頭から煙が出そうになってきたところで、お待ちしていたボランティアガイドの会長さんが登場。
ややお年を召したとても雰囲気のイイ方々。
挨拶もそこそこに、会長さんの年齢当てクイズが始まり、失笑の渦が巻き起こる…
会長さん(中央)御年86歳 |
和ませてもらい、いざ、美濃路へ。
そんなことより雑談に夢中なガイドさん |
散策スタート |
どちらかというと入り込みやすい私は、資料館から足を踏み出す頃にはすっかり江戸時代へとタイムスリップ。
さっきまで普通だった景色が一気に江戸時代に見えてしまい、いくを会長の姿がこんなふうに見えてしまう…。
飛脚とか |
頭を振り正気に戻って、歩き始めます。
寒さのあまり写真をマメに撮っていなく、貰ったパンフレットを編集。
資料館別館の起宿脇本陣内部(1)の見学からスタートし、斜向いの起宿本陣および問屋場跡(現在はただの石碑のみ(2))を見て船橋跡へ。
「この会」の様子 |
500m程歩くと会長さんの息が切れ切れに…。
この様子を見て、私は万が一の事に備え、常に案内していただく見所とともにAEDのある場所をチェックしながら進みます。
しかし、気付けばそんな会長さんを追い抜かし、我々が先に進んでしまうというなんともおかしな位置関係になりながらも、ひとつひとつ丁寧に説明していただきながら日本最大級の船橋が架けられたといわれる船橋跡(3)に到着。
船橋とは美濃路に沿って流れる木曽川を、将軍や朝鮮通信使などの特別な通行がある時にだけつくられた橋のことで、270隻の船を川に浮かべて板を渡し、全長850m程の長さにもなった国内で最大級の船橋だったとのこと。
最大級、というか…、ここへ来て気になったのは記念碑の後ろに並んだプロパンガス…。
ボンベに気を遣って屋根を設置するとかよりも全体をうまいこと隠して欲しいんですけど。
ボッサボサな雰囲気… |
そして、その木曽川へと移動。
川岸から船橋が架けられた当時の様子に想いを馳せるも、伊吹おろしがダイレクトに吹きさらすとんでもない寒さ。
しかし、そんな寒さを物ともせずに説明してくれるガイドさんたちには脱帽です…
相当極寒でした… |
船橋よりも伊吹おろしと真っ向から対峙することに… |
そして、次はカイヅカイブキ(大きな木(5))→起のおおいちょう(大きな木(6))→起のやまがき(プチトマトの様な柿の実が成る木(7))と見学し、散策のハイライトである湊屋屋敷へ到着。
この時、体の冷えがピークに達し、建物がどうのこうのよりも中に入って温かいお茶をいただけるとあって一気にテンションが上がったのは私だけではないはず…
立派なお屋敷 旧湊屋 |
とは言え、さすがに歴史を感じるこの存在感。
中へお邪魔し、しばし建もの探訪。
ちょこちょこ補修を加えてあるからつぎはぎな感じ、と管理されている方がおっしゃられていましたが、とても良い雰囲気です。
ここが濃尾地震にも耐えた建物で、敷地内にはこの宿場町で唯一、幕末から残る西倉と呼ばれる蔵があり見せてもらいました。
母屋の建築年代はどうやら不明のようです。
中はだいぶ斜めってました |
中庭 |
中庭 |
探訪後は温かいお茶をいただきすっかり暖まり、もう外に出たくなくなってしまいながらも、最後の起渡船場跡〜人柱観音へ。
人柱観音は、木曽川に堤防をつくる際に難工事となり、幾度となく決壊したので、与三兵衛という人が自らを濁流に沈めて人柱となり堤防の堰止めを完成させたとか。
自然と闘う当時の人々の様子が伺い知れ、今こうしてのほほんと暮らすことができているありがたさを感じたところで散策終了。
ここを折り返しとして、歴史民俗資料館へと戻っていきました。
こんな感じで長くなった割りには端折ったまとめですが、「この会」の歴史うんぬんよりも適当なノリを重視する雰囲気が伝われば幸いです。
今回もとにかく知らなかったことだらけでしたので、とても充実した美濃路散策となりました。
もちろんガイドさんあってのことだと、とても感謝しております。
資料館職員の方々、楽しいガイドをしていただいた美濃路起宿ボランティアガイドの皆さま、参加者の皆さま、いくを会長、ありがとうございました。
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ちなみに、ボランティアガイドさんたちの目にはこの会員証をぶら下げた集団がどう映ったのか気になりました。
自分で制作しておいてアレですが、何とも言いようのない恥ずかしさがありました。
ガイドさんを前にしても恥ずかしさを見せない、いくを会長 |
そんなこんなですが、いくを会長は先を見据え、というか先走って次の案を色々と練っていましたので、次回は春頃に開催されると思います。
その時はご参加どうぞよろしくお願いします。
お申込みは平山庭店へ!
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オマケ
ポストカード「春バージョン」 |
さすがです! 春もやる気満々!また、うすら笑い 浮かべて
返信削除次のプランを練りたいと思います。美濃路攻めるのもありかな~なんて思っております。
自分の中では「第十足」目指して行きたいと思います。
その頃には バスをチャ―ターしないとな~
と、また、うすら笑い浮かべてました。
今日、湊屋さんから棺桶のような アレを貰ってきました。
使い道に何かアドバイスください。
寒い中、ありがとうございました。
チェックありがとう!
削除湊屋さんからあの衣装箱?貰ったの⁈
すごいなー!
使い途か…
渡船場跡からそれに乗って対岸まで渡るとか?
それも含めてまた次回の案を練らなきゃね~